Kinoptik Paris Foyer 75mm f2 Apochromat

Lens Data

Lens Unit

Lens Photo

製造年:1947年ころ

絞り: f2-f16

Lens Impression

Kinoptik社のレンズは25mm,50mm,75mm,100mmなどf2.0のものがよく知られておりますが、結構スペシャルなスペックのレンズも作っていて、高速レンズでは35mm,50mm,100mm,のf1.3であったり、75oのf1.1、65mmf0.75などといったレンズも作られていました。60mmf0.7のレンズは拙著「オールドレンズの最高峰50mmf1.5」p169の価格表にも登場しています。

Kinoptik社はGeorges GrossetとGeorges Perthuisが1932年に当時所属していたOptis社を離れて設立した光学工房が始まりでした。彼らがOptis社にいたころ同社が申請した特許が仏518819(1921年)に残されていますが、2+1+2の5枚構成f2.5のレンズで、当時からかなり明るいレンズを指向していたことがうかがえます。彼らと同時期にOptis社のシネ用光学部門にはピエール・アンジェニューという若者も働いていました。ピエールは1935年に独立しますが、彼らが当時どのような関係を持っていたのかについてはよくわかりません。

会社は当初4人でスタートしますが、初めから35mmカメラ用レンズを製作していたようで、それが当たり、間もなく従業員も10人程度に増加し、会社も拡大移転をしています。さらに設計するレンズはダブルガウス型へのこだわりが強く、外注もしておりませんでした。それは創立間もなくから続けられておりますが、その理由については定かではありません。

1939年、欧州情勢の悪化とともに空撮など軍用光学製品の製造に踏み出しますが、資金増強のためにKellner社の資本参加を許すことになりました。加えて爆撃を受けて工場が破壊されたり、ドイツ軍の侵攻によってAskania製品の製造を強要されたりという波乱の時期となりましたが、さらにその後一時的にSOMベルチオ社に売却されるということも起きています。戦後1953年Georges Grossetが経営権を取り戻し、改めて独立性を確保しました。

創立以来同社の工学系はGeorges Grossetによって作られてきましたが、Georgesの死後、彼の妻はEdgar Hugues(1915-)を招きました。彼はf1.3,f1.1,f0.7などを始めとする多くのレントゲン用大口径レンズ、ALPA用レンズ、広角Tegeaを設計しましたが、フランスにコンピューターによるレンズ設計技術を導入した人物でもあります。

1981年、Georges Grossetの息子Roger Grossetは、会社をSFIMグループ(軍需産業、熱暗 視システムなどを開発)に売却し、独立企業としてのKinoptik社から変化を遂げました。

今回のレンズは創立から約15年後、戦後間もない時期に製造された初期型の75mmf2レンズです。近代の75mmと比べると、全体的な傾向は変わっていませんが、絶妙に柔らかで、特徴のあるボケを示してくれるとても素晴らしいレンズでした。

Photos with 初期Kinoptik 75mm f2

2019
Yokohama Yamate
(横浜山手)
横浜山手の西洋館はいつ伺っても、非常に美しい設えで出迎えてくれる素晴らしいところです。今回はさらに花の展示が特別に行われていたので、ますます見事でした。

1枚目のバラの肌に見えるように、ピントが合った部分の描写は非常に精緻で質感も豊かです。一方ボケ味は特徴的で、球面収差補正による2線ボケとエッジの立ったボケの輪郭が重なることによって独特の浮き上がり感を醸し出します。この描写は絞ると急速に消えますのでの、できるだけ開放で楽しむことをお勧めします。

 
 
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